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二胡とは

二胡は中国を代表する民族楽器で、そのルーツは唐代にまでさかのぼると言われています。

現在の二胡は、20世紀に入って様々な環境の中で演奏ができるように改良されたものです。民間劇などの伴奏楽器でしかなかった二胡を独奏楽器の地位にまで高めたのが劉天華という人物です。天華二胡学院の名はこの劉天華先生にちなんでつけられました。

二胡は黒檀や紫檀などの木で棹や筒などの本体が作られており、筒の前面にはニシキヘビの皮が張られています。弓は竹と馬の尾の毛でできています。
二本の弦の間に弓毛を挟み、弓を左右に動かしながら弦に擦りつけることで発生させた振動が駒を伝わり、皮が震え、筒の中で反響して音が出ます。

バイオリンのようでもありながら、人の声に近い深みを帯びた独特の音色と、中国音楽特有のポルタメントが生み出すメロディーは多くの人の心を惹きつける楽器です。

◆二胡の歴史

二胡が歴史に登場したのは、唐代(618〜907年)のこととされており、孟浩然の詩の中に二胡の原型と思われる楽器を演奏する様子を描写した段があります。
また、宋代(960〜1279年)の文献には、二胡の原型と思われる楽器の図や奏法が記されたものが残っていますが、その時代の楽器は素材や構造が現在のものとは異なっていました。

二胡が現在の形状と近いものになったのは明代(1368〜1644年)に入ってからのことで、二胡は劇や曲芸などの大衆芸能の伴奏楽器として急速に発展し民衆の間に広く浸透していきました。
明代末ごろには各地方劇の音楽の特徴に合わせて多種多様の擦弦楽器(京胡、板胡、高胡など)が誕生したと考えられています。

今世紀に入り西洋音楽が中国に大量に入ってくると、西洋音楽と中国の伝統音楽とを融合させた新しい音楽や奏法が開発され、二胡は新たな発展段階を迎えます。
劉天華は、二胡の音高を定め、数多くの練習曲を作曲して体系的な音楽教育が行えるようにした一方で、独奏曲「良宵」、「病中吟」、「燭影揺紅」、「光明行」などを作曲し、伴奏楽器とみなされていた二胡を一躍主要な独奏楽器としての地位にまで押し上げた人物です。1950年代になると、楽器の改良が進むと「二泉映月」、「流波曲」など、今でも名曲といわれる独奏曲が次々と生み出され、以降、多くの名曲や著名な演奏家が誕生しました。

近年ではすぐれた演奏家が海外に進出し、二胡は世界に広く親しまれるようになってきました。
そうして各国に根を下ろした二胡は、その土地の音楽と融合し、中国音楽の枠を超え、より普遍的な楽器として新しい生命を得ようとしています。

陳暘 著「楽書」より

陳暘 著「楽書」より

憂子求 画「麟堂秋宴図」

憂子求 画「麟堂秋宴図」

二胡教本

参考文献:『賈鵬芳の二胡教本』(ヤマハミュージックメディア刊)

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